初めての集会祭儀レポート

ガブリ神父様が土曜学校のキャンプで不在のため、8月3日(日)は当教会ではミサは行われず、初めてとなる集会祭儀が行われました。 集会祭儀では司祭がいないため、感謝の祭儀は行われず、言葉の祭儀が中心となります。 今回は進行役、聖体奉仕者、聖書朗読は信徒で分担、お説教はカノッサ修道女会のシスターにお願いしました。

開祭後、進行役の方から、集会祭儀とミサとの相違の説明があり、聖歌、聖書朗読へと進みます。お説教はシスター。笑い話を交えながら、フランシスコ教皇様の言われる福音の喜び、「お説教」についてのお話し。

その後、司祭による感謝の祭儀はなく、聖体拝領は、あらかじめ聖変化していたパンを、聖体奉仕者からいただきました。交わりの儀、閉祭へと続き、全体は約50分で終わりました。

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終了後、集会祭儀に参加した信徒から、次のような感想が聞かれました。

「いつものミサと違うので少し不安でしたが、不思議な暖かい雰囲気がありました」
「つい『また、司祭とともに』って言っちゃう。」

この日は、共同体として、心をひとつにして祈ることの大切さを再認識する機会となりました。これも、お恵みであったと思いました。

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教会学校の夏季キャンプ2014

山梨県忍野村8月1日―3日
よく遊び・学び・祈った3日間
キャンプファイヤーにロワ神父登場

今年も赤堤教会学校の夏季キャンプが8月1(金)―3日(日)の日程で行われました。滞在地は山梨県忍野村。富士山の湧水で知られる自然が豊かな場所です。

今回も子供が20名近く参加、10名を越すリーダーを合わせて30名以上の大所帯。事故防止に配慮しつつ準備を進めてきました。

現地では聖書の学習、水遊び、魚のつかみどり、、、、そして恒例のキャンプファイヤーと、盛りだくさん。闇夜を照らす大きなキャンプファイヤーでは、子供たちも喜び。ロワゼール神父様も参加し、頭にタオルを巻いて、特大の「聖火」をつくっていただきました。

最終日の野外ミサは、ガブリ神父様とロワゼール神父様の共同司式。3日間の楽しい思い出や、友達とのきずなを思い起こしながら、神様に感謝とお祈りが出来たと思います。
神父様、シスター、リーダーの皆様、民宿の方々、有難うございました。

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8月15日(金) 午後7時 聖母被昇天のミサ

8月15日(金)午後7時から聖母被昇天のミサが行われます。多くの皆様の、ご参加を呼びかけます。

聖書の中で、聖母マリアの被昇天については直接記されていませんが、カトリック教会は何世紀にもわたって伝達されてきた伝承(聖伝)を聖書とともに大切にしてきました。

聖母の被昇天への信仰は、キリストによる救いにあずかる人たちの象徴として、信じるすべての人たちの救いへの希望を表現するものです。

また、ミサ終了後に泣き部屋でささやかなお祝いパーティーをします。パーティーに参加していただける方は、準備の都合がありますため、聖堂入口の扉にある参加名簿にお名前をお書きください

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年間第16主日 ガブリ神父様のお説教

<ダイジェスト>

私たちは神様の愛を多く考えていますが、今日は人間への愛の話です。
神に従う人は、人間への愛を持つべきことを、神が教えてくれます。

人間への愛を持っていたら、神への愛になります。人間らしい生き方ほど、神に近づく生き方です。

昨日、テレビにシスター渡辺が出ていました。シスターはいまや一般的な有名人です。その著作「置かれたところで、咲きなさい」「面倒だから、しよう」(※ともに幻冬舎刊)が大きな反響を呼びました。

私がシスターに“素晴らしいお話”を期待したのも当然でした。しかし、実際にお話されたことは、本当に“人間らしいお話”でした。例えば、疲れて帰ったときに、「おかえりなさい」が言われずに、腹を立てたこと、またピーマンが苦手なことなどでした。

もちろん、お父様のお話には感動しました。(※9歳の時に二・二六事件に遭遇。父(渡辺錠太郎:教育総監)と同じ居間にいたところ、青年将校が襲撃。43発の銃弾が父親の命を奪った。)

50代でウツ病、60代で膠原病になりました。この時期シスターは、本当に人のことを理解できるようになったそうです。いま学生と話すときも、そのときの体験がもとになっています。修道女が“人間”になった後、人間として、ほかの人間に働きかけているのです。

今日の朗読に出てきた神、イエスは、わたしたちより“人間的”でした。“人間的な生き方”の模範を示されましたた。

イエスは小さいものから神の国を創ろうと話されました。人間は急に大きなことはできない、少しずつ、小さいものからつくりあげるとおっしゃっています。

私たちの神、イエスに人間のような性格があることを、あらためて理解しましょう。

神様といえば強い方、なんでも出来る方というイメージを持つものですが、私たちの神であるイエスは、自分を犠牲にして、人間を愛し、人間を大切にする生き方をされました。本当の意味で“人間的”でした。このことを思い出すとき、私たちの心の深いところで、希望と支えになるのではないでしょうか。

8月3日(日)は神父様不在のため 集会祭儀となります

8月3日(日)の主日は、ガブリ神父様が教会学校の夏期キャンプで不在のため、ミサは行われず、「集会祭儀」が行われます(午前9時開始。午前11時にはありません。)。

信徒の皆様は、赤堤教会の「集会祭儀」に参加するかわりに、近隣の教会のミサにあずかることも出来ます。どちらをお選びになっても結構です。

年間第15主日 ガブリ神父様のお説教

<ダイジェスト>
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ないところに落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、よい土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい」(マタイによる福音書 第13章3-9)

 

今日のマタイの福音書で引用されているイザヤの言葉も、私が聖書のなかで好きな言葉です。(「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」)

私たちは神の言葉を聞きますが、それで本当に、実りをもたらすことができるでしょうか。ミサで、私たちは神の言葉を聞きますが、それが信仰者としての栄養になるでしょうか。教会を出たらもうおしまい、ということになってしまわないでしょうか。

私も同じです。ミサの説教を一所懸命に準備して、ミサが終わったら、あー終わったなあ、良かったなあ、あとは来週やろう…と。それで終わってしまうようなことですね。

しかし、ミサで聞いた言葉は、自分でも知らないうちに、私たちの一週間の支えになっていると思います。

これから3週続けて、マタイのたとえ話を読みます。
マタイの7つのたとえ話は、神の国の存在と、神の国の成長について話をしたかった。
イエスは、もしかしたら、なかなか理解しない弟子たちと一般のひとたちのために、たとえ話をしたのかも知れません。

さっき朗読した個所ですが、おなじことを何度もくりかえして、みんながびっくりしないかなと思っていました。神父様、何回も同じことを話して、今日はおかしくなっちゃったって思われたのではないかと(笑)。

種をまく人が種をまきに出て行った。
種をまく人が出ていかないと、何にもならないです。

畑の前にすわっていても、野菜はうまれないし、育ちません。
ほんとうに作物をつくるときは、土をととのえ、うねをつくり、ビニールシートをしいたりします。

種をまくひとは、信頼をもって、よく実るように期待します。
ですから、大事なのは種をまくこと。
神の言葉を聞いて、私たちも出て行きましょう。

あの人、まだ聖書の話を聞いてくださる状況じゃないかも知れないと思うこともあるでしょう。でも、その人の状況を考えるよりも、きょうのイエスの言葉を聞いて、先に種をまきましょう。実らせるかどうかは、その人次第です。

イエスが天国から来たとき、人間が受け入れる状況だから来たわけではありません。それでも、イエスが私たちの間に生まれ、私たちの間を歩いた。もちろん、イエスの実りとなったところは大喜びです。イエスが種をまいた人は、私たちの先輩です。

種は、知らないうちに実ります。
ですから、私たちも同じようにまきましょう。

パウロが言うように、そのなかでは苦しみがあるかも知れません。
でも、その苦しみをこえて、実ります。

こころのなかにまかれた種にも感謝しましょう。
親から、友人知人から聞いたことを思い出して、
心をひとつにして感謝しましょう。

今週は精いっぱい種をまきましょう。
力のないときは、神様の力を借りて、まきましょう。

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(洗礼者ヨハネの説教より)

 

ボースカウト宗教章志望の高校生、ロワ神父も

6月29日(日)は「聖ペトロ 聖パウロ使徒」の祝日。ガブリ神父様によると、以前、司祭の叙階はほとんどがこの日に行われていたそうです。聖ペトロと聖パウロは、その後の信仰の礎を築いた使徒。その教えを受け継ぎ、真理を世界にあかしすることができるように、という意味が込められています。

さて、この日の主日ミサのなかで、ボーイスカウト隊員で宗教章(キリスト教章)を志望する高校生のあいさつがありました。赤堤教会と碑文谷教会のボーイスカウトから計4名が登壇し、簡単な自己紹介と宗教章を志望する理由を話してくれました。

理由は、「宗教章は目立ってかっこいい」「ボーイスカウト創立者の考えにつながるから、もっとよく知りたい」「イエス・キリストを信じれば、自分たちの生命は死んだら終いではなく、神様とともに永遠につづくようになる。もっと勉強したい」などなど、若者らしく、元気に考えを述べていただきました。

そして、4名といっしょに登場したのがロワゼール神父様(写真下)!この4月に赤堤教会から仙台教区に異動された後、カナダに少し帰国されていたそうですが、たいへん元気そうでした。そして、ボーイスカウトの若者たちが宗教章について述べる姿をたのもしげに眺めていらっしゃいました。

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7月6日(日) 教会学校 ミニバザー

※訂正:本サイトでバザーの日を7月5日(日)と誤って表示していましたが正しくは7月6日(日)です。訂正させていただきました。

 

カトリック赤堤教会の教会学校が、今年もミニバザーを開催します。ご家族、ご友人をお誘いあわせのうえご来場ください。皆様のお越しをお待ちしております。

日時: 7月6日(日)午前10時から午後2時まで。

場所: カトリック赤堤教会(駐車場はありません)

販売(予定):リサイクル衣類(子供用 大人用)、 雑貨(食器、タオル、バッグ等)、手芸品、子供のおもちゃ

ゲーム:子供向けゲーム

軽 食:カレー、ドリンク類他(メニューは変更の可能性があります)

ミサ時間の変更のお知らせ 7月および8月

カトリック赤堤教会の主日ミサは、夏期の2か月間(7月および8月)、ミサが一日一回となります。毎週日曜日、午前9時からミサが行われ、午前11時のミサは行われません。

9月からは平常通り午前9時と11時の2回のミサが行われる予定です。

三位一体の主日 ガブリ神父様のお説教

<ダイジェスト>

みなさんは、わたしたちの神について、他の人から聞かれたらどう説明しますか。

神父様やシスターから聞いたことを伝えることはできますが、
自分自身の体験で、自分の神はどういう神か。これは、なかなか言葉になりません。
でも、そういうときは神様が助けてくれます。

今日の朗読の中に、素晴らしい神様の姿があります。

あわれみ深く、恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ちた者。(出エジプト記34-4)

ときどき人から次のように言われます。
わたしはだめです、すごく悪いことをした、許されません。

そのとき思い出しましょう。

あわれみ深い神様
恵みに富む神様
忍耐強い神様
慈しみ深い神様

わたしたちより、忍耐強いです。
人間などより、はるかにあわれみ深い方です。

ただ聖書の言葉としてではなく、信仰生活の中で体験したさまざまなことを、
自分の体験として他の方にお話しすれば、パウロの言うように
私たちの生き方が変わっていくと思います。

よろこびをもって、平和をもって、生きる者になります。

神様は、愛と平和の神です。
神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
これ以上の愛の物語はありません。

三位一体(さんみいったい)というのは、愛の物語といえばいいのです。
わたしたちと神様、イエス・キリストのつながりは愛のつながりです。

神秘というのは、「理解できないもの」とわたしは子供のころに教わりました。
しかし、「理解できない」というより、深めていくものです。

わたしの父は牧場の仕事を朝から晩までしていました。
大勢の人が働いていましたが、感謝の気持ちを表さないひとでした。
母はそんな父に、ちゃんと感謝してくださいとよく言っていました。

母が先立ち、10年は父は独り暮らし。
父は試行錯誤して、母の味を真似て料理を作り始めました。
母の味をつくり、以前のように家族になりたいと思ったのでしょう。
それで、だんだんと父は変わっていったのです。
晩年、施設に入ってからは、ほとんど感謝の言葉ばかりでした。
私たちにとっては、まったく新しい父になっていました。

同じように、神秘もひとりひとりが、少しずつ深めるもの。
神様も、深めていくものです。

わたしたちがついていくイエスが、どういうお方か
少しずつ深めていきましょう。