”復活桜”のこと

最近の嵐で、マリア幼稚園の桜の枝がたくさん落ちてしまいました。花も咲かせないうちに残念だなあ、そう思っていたところ、うちの教会の“花名人”であるロワゼール神父様がやってくれました。

落ちた枝を集めて花瓶に差し、暖かい部屋に約2週間置いたところ、なんときれいな花を咲かせたではありませんか。主日のミサにあずかった信徒は「イースターの復活桜だ!」と驚き、その可愛らしい姿を大いに楽しみました。命の不思議さ、神父様の愛情に脱帽です。

あきらめずに愛情を注ぎ続け、最後には花を咲かせる。まるで主イエスと私たち人間のようですね。四旬節の良い思い出になりました。

ロワゼール桜1

ロワゼール桜接写1

文責:アントニオM

黙想会第一回 「新しく生まれなければ 神の国をみることはできません」

mokusoukai2014

イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子(でし)たちの前で行われた。 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。(ヨハネによる福音書 20章30-31節)

3月16日(日)、カトリック赤堤教会で黙想会が行われました。ロワゼール神父様による指導のもと、ヨハネ福音書20章をとりあげ、1)キリストを見続ける私たちの信仰、2)律法や権威に立脚しない師イエス、3)新たに生まれなければ神の国に入れないこと、などについてお話を聞かせていただきました。

◆ダイジェスト
地上のことで人間は本当には救われない。天上のことで本当に救われる。神をみるまで、宇宙全体が神をみるための鏡であるかのよう。素晴らしさを繰り返しみる。そして四旬節に、十字架のキリストを見続ける。復活を信じてキリストを見る。もっと深く、もっと心の底で感じる。キリストをじっと見続ける。そのためには、祈ること、黙想することが大切。黙想は祈りそのものではないが、日々のなかで、神と向き合う唯一の機会かも知れない。

行動がいいから救われる?そうではなく、恵みによって救われる。神が人間に何を約束されたか?人間の本当の幸せだった。御一人子を世につかわすほどこの世を愛されていた御父。人間は自分の力では救われない。御父とイエスをあがめる信仰のなかで、新たに生まれなければ救われない。

◆教皇フランシスコの「福音のよろこび」より (神父様の仮訳)
「その押しつぶすような、大量の消費に誘われている現代の人類の大きな危機は、自己満足、小指1本動かさないという精神、いわゆる個人主義的な悲しみにあり、浅はかな楽しみの病んだ欲望、孤立した良心にあります」

「キリストが自分のところに来るのを受け入れるように、毎日、絶えず、キリストをさがしもとめるようにと願います。……主の与える喜びからは誰も外されていません。…繰り返しますが、神は決して、私たちをゆるすことをあきらめはなさいません。77回まで人をゆるすことを私たちに求めた方ですから、同じく77回は私たちをゆるしてくださるはずです。…どんなことがあっても、イエスの復活からはなれずいましょう。どんなことがあっても、キリストによるエネルギーほど、私たちを前に、希望に向かって進ませて下さる存在はほかにないのです」

典礼係からのお知らせ

3月30日(日)共同回心式のミサ終了後、また4月6日(日)の9時のミサ終了後に、ご復活祭の聖歌の練習を行います。聖堂で行いますので、ミサ後時間のある方は、そのまま練習に参加して下さい。

4月4日(金)午前に聖具みがきを行います。お時間のある方は是非お手伝いして下さい。