三位一体の祝日 ロワゼール神父様のお説教

みなさん、赤堤教会に長いこと通っていると思いますが、聖堂の左側にある、木製のレリーフに気が付いていますか。その意味をご存知ですか。このレリーフは3つの部分からなり、一番上には、雲の中から伸びる手の姿があります。これは神様のしるしであり、創造主である、父なる神のしるしです。二番目には、聖霊が鳩の形をしています。いちばん下に、十字架があります。これは三位一体をあらわしています。このレリーフは、ミサの度に、私たちが信じている神について思い起こさせてくれます。

三位一体とはどういうことでしょうか。それは、私たちの生きている世界の中には、ないようなことです。今日の祈りのなかに、神さまは唯一である、と同時に三位であると言われています。

じつは愛というのは、相手がなければ愛することができません。愛はいつも誰かを愛しているものです。愛が自分の心の中だけのものなら、それはエゴであって、愛ではありません。愛と恋は違います。恋はどうしても自分中心の感情ですが、愛は相手がいなければ生じない、感情または精神です。

神さまがただ自分だけのことを考えるような方なら、神さまの中に愛はなかったでしょうね。でも実際には、愛は、神さまの存在そのものといってもいい。私たちが造られたとき、私たちは神さまに似せた姿なので、その神さまの愛は私たちにも注がれました。「神を愛し、隣人を愛する」という、私たちのもっとも大切な決まり。私たちの信仰の根本的な精神がここでつくられたのです。私たちは、神に似せて造られたのですから、愛を人に与えることは当然の行いなのです。

皆さんは、この社会のなかで一人暮らしの人が多く、孤独な人が多いことを知っていますね。でも、私たちもときどきは一人でいたくなります。静かに自分の心をのぞくことが必要なのです。大自然の中に入り、静けさと向かいあうとき、自分の心が養われていくことは事実です。考えてみれば、そのとき相手は静けさ、花、自然なのですが、これらの被造物とのコミュニケーションによって、自分が豊かになるということなのです。そして自分の日常の場所に戻り、また人と接するとき、その豊かさをもって、関わり合いがもっとうまくいく。皆さん、そういう経験はありませんか。

ひとりぼっちという言葉があります。一人ぼっちな人は、人とのコミュニケーションがなかなかうまく出来ず、その結果、自分の存在が人から認められないと感じてしまう、そんな状態のことです。
わたしたしが社会の中に出て行って出来る事は、いろいろあると思いますが、どんなときも、自分の心の中に三位一体、神の愛が存在していることを自覚することは大切なことです。自分の中に愛を持ち、その愛がもっと大きく育つように祈りたいと思います。

ほんとうに、皆さんの共同体のなかで、一人もひとりぼっちにならないように。そして、社会の中で、一人もひとりぼっちにならないように、皆様の働きが求められています。そのために、私たちの心にある三位一体の存在を実感することが必要なのではないでしょうか。