復活したキリストが、いつでもどこでも一緒にいてくださる

わたしたちはいつも思います。救い主は常にわたしたちとともにいてくださると。
ある信者は主の啓示を明らかに感じ、ほかの信者は暗がりのなかの希望のように心に感じ、また、別の信者は哲学的・人生論的な帰結として、神がわたしたちとともにいることを受け入れています。

実際、このことは何度も聖書でくりかえされるのですが、今日(復活節第6主日)読んだ聖書の箇所には端的に書かれていますので、聖書の典礼の一部を抜粋いたします。

わたしは、都の中に神殿を見なかった。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。(黙示録21・10-14、22-23)

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。(ヨハネ14・23-29)

わたしたちの住む世界には神の愛が働き、神の栄光に満ちています。神を賛美し、神を信頼する日々。やはり、わたしたちの人生は神様とともにあります。