今日の福音の個所は、ルカの福音書にのみ書かれているエピソードです。ルカにあっては、信仰者にとってのお金のむずかしさは、見過ごせないことでした。
今日の福音のなかでは、ある金持ちが他界し、その金持ちの家の前にいた、食物もなく、体中できものだらけだった者(ラザロ)も他界した。死後、金持ちは地獄の炎に苛まれ、ラザロは天国でアブラハムの隣に座った。
金持ちは反省し、自分の兄弟が同じ目に合わないように、死者を復活させて兄弟のもとへ遣わして、よく言い聞かせてほしいとアブラハムに懇願しますが、アブラハムは「モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」と答えます。
福音のなかで、金持ちは悪い人とは書かれていません。また、ラザロが善い人だったとも書かれていません。ただ、この福音は、わたしたちの生きる目的についての示唆があると思います。すなわち貧しき者への助け、あわれみです。金持ちはラザロが自分の家の門前にいたのが見えなかったわけではありませんが、心の中ではラザロはすっかり存在しない者になっていたのです。
お金は、人を“見えない者”にしてしまうものです。それを集めれば集めるほど、貧しい者への関心が薄れる危険をはらんでいます。とくに信仰者にとってはその危険があるものなのです。