年間第15主日 ガブリ神父様のお説教

<ダイジェスト>
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ないところに落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、よい土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい」(マタイによる福音書 第13章3-9)

 

今日のマタイの福音書で引用されているイザヤの言葉も、私が聖書のなかで好きな言葉です。(「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」)

私たちは神の言葉を聞きますが、それで本当に、実りをもたらすことができるでしょうか。ミサで、私たちは神の言葉を聞きますが、それが信仰者としての栄養になるでしょうか。教会を出たらもうおしまい、ということになってしまわないでしょうか。

私も同じです。ミサの説教を一所懸命に準備して、ミサが終わったら、あー終わったなあ、良かったなあ、あとは来週やろう…と。それで終わってしまうようなことですね。

しかし、ミサで聞いた言葉は、自分でも知らないうちに、私たちの一週間の支えになっていると思います。

これから3週続けて、マタイのたとえ話を読みます。
マタイの7つのたとえ話は、神の国の存在と、神の国の成長について話をしたかった。
イエスは、もしかしたら、なかなか理解しない弟子たちと一般のひとたちのために、たとえ話をしたのかも知れません。

さっき朗読した個所ですが、おなじことを何度もくりかえして、みんながびっくりしないかなと思っていました。神父様、何回も同じことを話して、今日はおかしくなっちゃったって思われたのではないかと(笑)。

種をまく人が種をまきに出て行った。
種をまく人が出ていかないと、何にもならないです。

畑の前にすわっていても、野菜はうまれないし、育ちません。
ほんとうに作物をつくるときは、土をととのえ、うねをつくり、ビニールシートをしいたりします。

種をまくひとは、信頼をもって、よく実るように期待します。
ですから、大事なのは種をまくこと。
神の言葉を聞いて、私たちも出て行きましょう。

あの人、まだ聖書の話を聞いてくださる状況じゃないかも知れないと思うこともあるでしょう。でも、その人の状況を考えるよりも、きょうのイエスの言葉を聞いて、先に種をまきましょう。実らせるかどうかは、その人次第です。

イエスが天国から来たとき、人間が受け入れる状況だから来たわけではありません。それでも、イエスが私たちの間に生まれ、私たちの間を歩いた。もちろん、イエスの実りとなったところは大喜びです。イエスが種をまいた人は、私たちの先輩です。

種は、知らないうちに実ります。
ですから、私たちも同じようにまきましょう。

パウロが言うように、そのなかでは苦しみがあるかも知れません。
でも、その苦しみをこえて、実ります。

こころのなかにまかれた種にも感謝しましょう。
親から、友人知人から聞いたことを思い出して、
心をひとつにして感謝しましょう。

今週は精いっぱい種をまきましょう。
力のないときは、神様の力を借りて、まきましょう。

senreisha20140719

(洗礼者ヨハネの説教より)

 

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