黙想会第二回「永遠に渇くことのない水を求める」

イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
(ヨハネによる福音書4章7-15)

3月23日(日)、カトリック赤堤教会で黙想会の第二回が行われました。ロワゼール神父様による指導のもと、ヨハネ福音書4章をとりあげ、1)永遠に渇くことのない泉からの水に預かることや、祈りと秘跡の関係、2)霊をもって拝むこと、キリストを愛している祈り3)サマリアの女の宣教の仕方、などについてお話を聞かせていただきました。

◆ダイジェスト

先週に続いてヨハネによる福音書を読みます。先週の20章では場面は夜でしたが、4章では昼です。内容は水と関連しています。
イエスとサマリア人の女との出会いは、いろいろな見方ができます。男女の出会い、神と人類の出会い、違う文化どうしの出会い、違う宗教どうしの出会いなど。しかし、ヨハネの福音書におけるイエスとサマリア人の女との出会いは、何よりも、愛情(水)を求める人間と、それを与える神との出会いでした。

◇水を与える人とは?
出エジプト記の17章でも、人々から水を求められたモーセが、神のことばどおりに岩を打つと、水が出たという記述があります。このときの「岩」は、新約聖書ではキリストになります。

◇イエスも水を求めている
イエスも何かを求めていたと思います。サマリア人との会話でしょうか。旅のつかれをいやすこと、あるいは乾いた喉を潤すことでしょうか。イエスは愛の渇きをいやしてもらいたかったのではありませんか。
十字架につけられたイエスの叫びに「渇き」を感じるとき、それは世界を見たイエスが、人々からの愛を強く求めていたからではないでしょうか。人間にとって大切な水。しかし愛もそれに等しく大切。

◇イエスの与える水
「永遠に渇くことがない」水とはどんなものでしょうか。神(聖霊)が人に与えるいのちと関係しています。生きるためにどうしても水が必要であるように、霊的に、また精神的に生きるための「水」が必要。キリストの愛の泉から湧き出る水が必要。その水があふれる泉こそ、毎日のイエスとの出会いである祈りと御言葉です。そして、私たちは、とくにミサとご聖体に預かることによって、その機会をいただくことが出来るのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です