黙想会第一回 「新しく生まれなければ 神の国をみることはできません」

mokusoukai2014

イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子(でし)たちの前で行われた。 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。(ヨハネによる福音書 20章30-31節)

3月16日(日)、カトリック赤堤教会で黙想会が行われました。ロワゼール神父様による指導のもと、ヨハネ福音書20章をとりあげ、1)キリストを見続ける私たちの信仰、2)律法や権威に立脚しない師イエス、3)新たに生まれなければ神の国に入れないこと、などについてお話を聞かせていただきました。

◆ダイジェスト
地上のことで人間は本当には救われない。天上のことで本当に救われる。神をみるまで、宇宙全体が神をみるための鏡であるかのよう。素晴らしさを繰り返しみる。そして四旬節に、十字架のキリストを見続ける。復活を信じてキリストを見る。もっと深く、もっと心の底で感じる。キリストをじっと見続ける。そのためには、祈ること、黙想することが大切。黙想は祈りそのものではないが、日々のなかで、神と向き合う唯一の機会かも知れない。

行動がいいから救われる?そうではなく、恵みによって救われる。神が人間に何を約束されたか?人間の本当の幸せだった。御一人子を世につかわすほどこの世を愛されていた御父。人間は自分の力では救われない。御父とイエスをあがめる信仰のなかで、新たに生まれなければ救われない。

◆教皇フランシスコの「福音のよろこび」より (神父様の仮訳)
「その押しつぶすような、大量の消費に誘われている現代の人類の大きな危機は、自己満足、小指1本動かさないという精神、いわゆる個人主義的な悲しみにあり、浅はかな楽しみの病んだ欲望、孤立した良心にあります」

「キリストが自分のところに来るのを受け入れるように、毎日、絶えず、キリストをさがしもとめるようにと願います。……主の与える喜びからは誰も外されていません。…繰り返しますが、神は決して、私たちをゆるすことをあきらめはなさいません。77回まで人をゆるすことを私たちに求めた方ですから、同じく77回は私たちをゆるしてくださるはずです。…どんなことがあっても、イエスの復活からはなれずいましょう。どんなことがあっても、キリストによるエネルギーほど、私たちを前に、希望に向かって進ませて下さる存在はほかにないのです」

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