年間第4主日 ガブリ神父様のお説教

<ダイジェスト>

第2朗読ではパウロのコリントへの手紙を読みました。 ここでは愛について最高の文学、最高のおしえがあります。 愛の讃歌として知られている個所であり、結婚式などでも 紹介されることがあります。

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パウロのコリントへの手紙(12・31-13・13)

たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。

全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

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神さまについてみなそれぞれイメージがあります。慣れ親しんだ神さまのイメージ。 でも何か出来事があると、それががらっと変わってしまう。 神さまはいつも驚きで、私たちに気づきを与えて下さる。

イエスが故郷の村を訪れたとき、皆は、数々の奇跡をおこし、病の人をいやしたイエスを 思い描いたけれど、イエスに会いにいったとき、そこにいたのは「ヨセフの子」のイエスでした。 イメージと違う姿に、あるものは落胆し、あるものはイエスを崖から落とそうとさえした。

洗礼を受けるとき、勉強は十分ですか、どんな勉強をしましたか?と気にする人がいますが、 そういう人こそ、勉強は大丈夫ですかと問いたいです。
洗礼は勉強の結果ではなく、キリスト者の生活は洗礼のときから始まるのです。

イエスのイメージをかたくなに守るのではなく、神にゆだね、聖霊をたのみ、イエスの姿がもっと良くみえるように、感謝し、祈りを続けたいと思います。

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