「野のゆり」原稿募集! 期限:2019年12月8日(日)

今年も、クリスマス記念文集「野のゆり」を発行いたします。
キリスト信者として、信仰生活を分かち合い、
そして寒い冬に負けない、暖かい気持ちをお互いに届けましょう!

(教皇様の東京ドーム・ミサの感想など、みなさんの信仰生活を教えて下さい!)

締め切り: 2019年12月8日(日)
字数: 2800字上限(厳守希望)
提出方法:
①ピジョンボックス 最左列のボックス(「野のゆり編集」)に入れる
②メールアドレスに送信する(アドレスは昨年と同じです、以下の画像参照ください)

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テーマ:テーマはキリスト者の視点を感じさせるものにして下さい。

編集: 原稿には、誤字脱字、行間、文意整理、挿絵挿入などの修正を加えさせていただきます。あらかじめご了承ください。

配布: 赤堤教会の信徒、世田谷ファミリー協力体の教会の信徒、クリスマスに教会を訪れた方に配布します。この他、信徒のご近所に渡す場合もあります。

筆者名:実名です。筆者名は誌面の統一をはかるため、洗礼名をはずして表記します。

年間第32主日 ガブリ神父様のお説教

今日の福音朗読(ルカ20・27-38)は少しむずかしかったかも知れません。でも、最後に書いてあることは、私はとても好きです。イエス様はこう言いました。

「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は神によって生きているからである。」

“生きている人間のための神”なのです。私たちは亡くなった人たちの冥福を祈りますが、亡くなった人だけではなくて、私たち生きている人のための神様なんです。今日は七五三のお祝いをしました。生きているみんなが、無事に成長していくことが出来ますようにとお祈りします。神さまは子供たちの命を守り導いて下さいます。

世界でいちばん、みんなの命を大切にしているのは、お父さん、お母さんです。だから、お父さんとお母さんも元気でいられますように、お祈りします。お父さん、お母さんの命を大切にしたのは、おじいちゃん、おばあちゃんです。だから、おじいちゃん、おばあちゃんも健康でいられますようにお祈りします。

そして、病気でこの命が終わるときもあります。残念です。けれでも、今日の神さまの言葉によると、この命は終わるように見えても、絶対に終わらないのです。永遠の命、終わりのない命へと生まれ変わるのです。

想像してみてください。私たちは種をまくときは土に埋めますが、そのとき、種は死ぬのではないかと不安になります。でも、この種は新しい命となります。私たちも同じように、永遠の命になります、終わりがありません。

今日は午前はミサの中で、子供達の七五三のお祝いがありますが、午後はカトリック府中霊園に教会のために尽くした人たちのために墓参をして祈りを捧げます。今日は若いみなさん、子供たちの命を祝福し、また永遠の命をさずかった人たちに感謝と祈りを捧げます。なんて特別で素晴らしい日でしょう!

11/10 カトリック赤堤教会共同墓地に墓参

カトリック府中霊園にある、カトリック赤堤教会の共同墓地にみんなで墓参に行きました。車数台に分乗し、乗り切れない方は電車で現地に集合。霊園の奥にある墓碑につくと、墓地委員の方がお世話してくださった花が見事に飾られていました。(墓地委員の方に御礼申し上げます)。

ガブリ神父様を囲み、聖歌をうたい、聖水をもって祝福をしました。教会の墓碑には、いまはもう会えない家族、友人の名前……。故人をしのぶとともに、あらためてキリストの深い愛と、慈しみに感謝をささげる秋の一日となりました。

bosan20191108

年間第27主日 ガブリ神父様のお説教

 

信仰というものは自分の生き方そのものです。仕事、家庭、病気、死について、私たちは信仰にもとづいた見方をするものです。私たちは他の方と同じ社会に生きているけれども、キリスト者としては見方が違ってきます。

私たちは、とっても成功した時は神に感謝し「これは神さまのおかげです」と言います。「神さまは必要な時に恵みを与えて下さると信じています」と言います。また、つらいときや失敗したときは、神さまが必ずゆるしてくださると信じます。回心すればチャンスをいただけるし、人生の最後に死ぬとき、死は新しい永遠のいのちへの出発と信じ、勇気づけられます。それが私たちの生き方です。

ただ、そんな信仰生活のなかでも、自分には信仰が足りない、信仰がうすいと感じるときがあります。

第1朗読で読まれるハバクク書では、「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。わたしが、あなたに『不法』と訴えているのに あなたは助けてくださらない」との助けを求めて叫んでいます。

困難な状況が続くとき、願いがかなわなかったとき「やっぱり神さまはいないのか…」などとがっかりすることはありませんか。または神を疑わないまでも、信仰のあついうすいの問題として考えることはよくあります。本日の朗読によると、それは間違いということになります。イエス様にとって信仰とはたとえ小さなものでも、山を動かすほどの力を秘めているのです。

福音書では、「信仰を増してください」との使徒たちの願いに、「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」と言われています。

私たちの信仰を考えるとき、自分の中にある「からしたね」に思いをはせる必要があります。
そして、パウロがエフェゾ教会の司牧者であった若いテモテに語った言葉を思い起こしたいと思います。

「神の賜物(たまもの)を、再び燃えたたせるように」
「神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください
「あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい」

 

神に感謝。

年間第26主日 ガブリ神父様のお説教

今日の福音の個所は、ルカの福音書にのみ書かれているエピソードです。ルカにあっては、信仰者にとってのお金のむずかしさは、見過ごせないことでした。

今日の福音のなかでは、ある金持ちが他界し、その金持ちの家の前にいた、食物もなく、体中できものだらけだった者(ラザロ)も他界した。死後、金持ちは地獄の炎に苛まれ、ラザロは天国でアブラハムの隣に座った。

金持ちは反省し、自分の兄弟が同じ目に合わないように、死者を復活させて兄弟のもとへ遣わして、よく言い聞かせてほしいとアブラハムに懇願しますが、アブラハムは「モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」と答えます。

福音のなかで、金持ちは悪い人とは書かれていません。また、ラザロが善い人だったとも書かれていません。ただ、この福音は、わたしたちの生きる目的についての示唆があると思います。すなわち貧しき者への助け、あわれみです。金持ちはラザロが自分の家の門前にいたのが見えなかったわけではありませんが、心の中ではラザロはすっかり存在しない者になっていたのです。

お金は、人を“見えない者”にしてしまうものです。それを集めれば集めるほど、貧しい者への関心が薄れる危険をはらんでいます。とくに信仰者にとってはその危険があるものなのです。

教皇ミサin 東京 赤堤教会での受付開始

教皇ミサin 東京

Papal Mass in Tokyo  11月25日 15:30-17:45

教皇様が38年ぶりに来日されます。教皇様にお目にかかれる日まであと57日です!

各教会として参加人数をとりまとめていますが、赤堤教会でも参加申し込み用紙をまとめていますので、参加されるかたは聖堂入口にある箱に申込用紙を入れてください。

papalmass2019