復活節第2主日 ガブリ神父様のお説教

<ダイジェスト>
故人を偲ぶため家族、知人が集まる。弟子たちも同じように集まった。
イエスが十字架の苦しみを受けて亡くなったことは、受け入れ難いこと。
しかし、復活という素晴らしい知らせを、弟子たちは伝え始めた。
弟子たちの集まりが教会になり、現代の私たちはその続きである。

私たちはイエスのことを話し、思い出しながら、体をいただきながら、
教会とはどんなものかを学んでいる。まだ完全ではない。

トーマスはイエスの生前は神様だと言っていたが、十字架の死を見てからは
もう信じられなかった。しかし、弟子たちといっしょに話し、イエスのことを話し、
復活したイエスを見たという仲間の弟子の証言を聞き、トーマスも信じるようになった。
私たちにはペトロのように熱心なときも、トーマスのように怠けてしまうこともある。
しかし、弟子たちと同じように集まり、イエスのことについて話し、
体をいただきながら、教会を少しずつ作っている。

イエスと同時代の「初代教会」には素晴らしいイメージを抱く。
みんな仲良く、自分のものを分け合い、いっしょに祈り、イエスについて話す。
自分もその中に入りたかった、と思う。
しかし、もう少しみると、いろいろ課題はあった。
イエスの教えをどう日常生活に活かせるかを一生懸命に考えていた。
この悩みは、初代教会の信者も私たちも同じこと。

復活したイエスを、私たちに命を与えて下さったイエスを、
喜びと真心をもって、どうあらわせばいいのか。
弟子たちと同じ喜びと真心を持つことができるように、
また証しすることが出来るように、
神様の恵みと力を願い求めましょう。

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