年間第16主日 ”マリアとマルタの家のキリスト” ガブリ神父様のお説教

先日やっと司祭館の工事がおわりました。それで、しばらくぶりに庭の手入れをしたのですが、これが楽しく、あまりに楽しかったので、余計なことまでしてしまいました。そのとき余計に切ったアサガオがこちらの花瓶にさしてあります(笑)。

1967年、わたしは高校を卒業しました。当時、カナダはモントリオール・エキスポがあって、みんな将来に希望を抱いていました。そのときよく話されていたのが、将来は趣味だけしていればいいような世の中になるということ。仕事などしなくてもよく、趣味をしていればそれで暮らしていけるという希望が広まっていました。そんななか、私と同級生は、あるものは大学へ進学し、あるものは仕事についたりと、各々が決めた道を歩み始めました。

さて、あれから50年以上が経ちましたが、どうなったでしょうか。現代は、私が高校を卒業したとき時代より、もっと人間は働いている、もっと忙しく、なっているような気がします。

携帯電話がうまれ、PCがうまれ、仕事が”楽”になりました。コンピューターが計算してくれるので仕事はすごく”楽”になりました。けれども、その分、働いている人のノルマは増えてきた。携帯で連絡できるので、こんどやるのではなく、すぐにやってということになります。すぐに連絡がとれるので楽に仕事を与えられるのです。

しかし、楽になった分、プレッシャーになる部分も増えましたよ。私のような人間でも、「神父様どうして携帯に出ないのですか」「神父様携帯を持っていないのですか」等々言われることが次第に増えました。もちろん私はすぐに返事しますが、ときにはそれが出来ないこともあります。

また、誰かと話しているときに携帯が鳴ると、「すみません、いま電話が来てしまったので、ちょっと失礼します」といって、会話は中断します。これって便利なのかな、と不思議に思います。

ある日、夜のレストランで友達や家族がお互いに携帯をさわって、一言も会話がないまま食事を終えて出て行く場面に出くわしたこともあります。これはびっくりを通り越して、なんとも悲しい気持ちになります。

皆さんご存知ですが、私はよく人の結婚式に出ます。結婚式の最後のほうになって、少しだけ時間をいただくこともあるのですが、そんなときは次のような話をします。

「ひとつだけ言わせてください。結婚記念日を覚えておいてください。1、2年は忘れない人が多いですが、それ以降になると忘れている人もいます。結婚記念日は忘れずに、できれば2人だけで、また家族だけでレストランで食事をするといいと思います。でもそのときは、携帯電話、アイパッド、アイフォン、すべてのそういうものを家に置いて出かけてください。二人だけ、家族だけの時間にしていただきたい。毎年これを続ければ、当人たちにとって、振り返ると宝物のような時間になっていることは間違いありません。」

ここまでお話しすると、皆さんは、今日の福音朗読とのつながりがもうお分かりですね。

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一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。

彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。

マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」

主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。

しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

(ルカ10・38-42)

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実際のところ、私も似たような失敗をしています。先日も、知り合いの青年がカナダから友人を連れて日本に遊びに来るので、司祭館にとめて欲しいという若者がいましたが、私は歓迎したい気持ちはありましたが、司祭館が工事中ということもあり、断ってしまいました。でも、まったく泊まる事ができないほど工事していたかどうか、わからないのに、断ってしまった。わたしは彼を大切にするより、なにか別のことを優先させてしまったと、とても後悔しています。

私もみなさんも、本当に大切なものを中心にした生活が送れるように、神さまの恵みを求めましょう。

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