教皇、「祈りは生活そのものから始まり、絶望から救ってくれる」。

カトリックの家に生まれたわたし(HP管理人)は、子供のころから自分のことではなく、他人のために祈りなさいと教えられてきました。「誕生日プレゼントは○○がほしい」はだめ。「世界中の人に平和がきますように」はOKだと。

祈るとはそういうものかと、子供なりに納得していたような気がします。

さて、では大人の場合はどうなるでしょうか。「仕事がうまくいきますように」「論文が入賞しますように」「病気が治りますように」ということを、神様にお祈りしては、、、、だめなのでしょうか。

フランシスコ教皇様がこの問題、すなわち「神に向ける懇願の祈り」について、とてもわかりやすい解説をしていますので、ここで引用させていただきます。私と同じ素朴な疑問を持つ方にとっては、とても参考になると思います。

「過去にある人が言ったことがあります。物事を願う懇願の祈りは信仰がまだ弱いことを表す祈りです。真の祈りとは何の願い事もない純粋に神を賛美する礼拝の祈りなのだと。

そうでしょうか。事実はそうではないと思います。懇願の祈り、そこにある信仰は本物です。それは人間が持つごく当然の心情です。全能であり、かつ最高に善良である父である神に対する信仰の表れ、信頼の行為です。
自分は小さく、罪人で、助けを必要とする者であるとの自覚をも表す行為です。ですから、神に向ける懇願の祈りは大変すばらしい祈りなのです。
それはその祈り自体が、神はわたしたちに対して限りない同情とあわれみを持つ父であり、わたしたちがその愛する子として、何の恐れもなしに心から、直接に「わたしたちのお父さんと」呼びかけ、困難にあうときにも、何とかしてください、と願うことのできる父であることを示しているからです」。(水曜恒例教皇一般謁見)

全文はこちらでご覧いただけます(バチカンNEWS)

https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2018-12/papa-udienza-generale-20181212.html

 

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